以下の記事で説明した通り「ふじのくに3776訪中団」として浙江省の杭州市に、そして「浜松市訪中団」として中国江蘇省の蘇州市に2010年10月11日(月)〜14日(木)のスケジュールで行ってきました。
今回は、訪中の記録を報告しますが、ちょっと写真点数が多くなります。
最初の視察は、浜名湖のモデルともなる「西湖」ですが、さすが2006年に中国の国家AAAAA級旅行景区に指定されただけに、中国人の観光客で賑わっていました。

写真で見えるドラゴン調の建物はレストランで船ではないようです。

通り抜けたのは西湖の上を歩いて渡ることができるものです。
この雰囲気は写真ですと、伝えにくいので動画にまとめました!
遊覧船に乗っただけで移動しましたが、ご覧の通りすごい人気でした…
天候が晴れであれば周りの景観が見渡せたようなので、とても残念です。

バス乗り場の近くにあったので説明を受けましたが、このような観光地を効率よく回遊できるようレンタル自転車のシステムが導入されたようです。
しかし現実ば誰も利用していませんでしたね…
続いて、970年に創建された「六和塔」に移動。外見は13階建です。
中は登る螺旋階段になっており実際には7階しかありません。

鈴木康友市長を先頭に登りましたが、ちょっと格好が似てますね…
続いて、明・清時代の古い町並みを再現した「清河坊街」へ移動。

いわゆる新天地なのですが、こうして観光地らしいオブジェの前ではたくさんの観光客が写真を撮影しています。

通りの真ん中には露店商の雰囲気でいろんな商品が販売され、古さを感じさせない統一感がとれた印象を受けます。

ちょっと道を外れると、元の姿が…こういう建物をリニューアルしながら、どんどん再開発エリアを拡大しているようですね。

改装後はこのように生まれ変わった状態になるわけです。
夜になると「浙江省主催歓迎会」参加のため「人民大会堂」へ。

ちなみに厳しいセキュリティも緊迫した雰囲気も全くありませんでした。

こちらが会場で、訪中団と現地人合わせて600名以上の参加。

川勝平太静岡県知事の挨拶は、原稿を読むことなく話されていました。
通訳は原稿を読んで話しているということは、県知事は全て頭の中に!?

無事に交流会が終了して、歓迎看板の前で浜松市訪中団の集合写真。
翌日は早朝から蘇州市に移動して、鈴木康友浜松市長の随行で蘇州市役所を表敬訪問しました。

蘇州市人民政府庁舎で王鴻声副市長と会談している風景。

会談では、来年には都市レベルでの他分野にわたる交流に拡大したいという考えで一致。大きく前進しました。
続いて、蘇州市の観光地でもある「寒山寺」に移動。私はこれで3回目の訪問。

蘇州市との友好提携実現を願うメンバーにとって嬉しい瞬間です。

ここもまた中国人の観光客が…まるで毎日が初詣の雰囲気です。

こちらは黄色い建物は「除夜の鐘」で有名な鐘楼です。

2005年に日本へ来ていただいた寒山寺の秋爽館長との懇談会の風景です。仏教的な紫色の部屋はとても落ち着きがあります。

1905年に伊藤博文が同じ鐘を2つ作って、ひとつは浜名湖「舘山寺」に、もうひとつは蘇州「寒山寺」へ贈ったものです(写真は観賞用レプリカ)。

前回は建設中だった「世界一の仏鐘」には中国のスケールの大きさを目の当たりにしたメンバーはただ驚くばかり。
その模様は、やはり動画でまとめてみました。
いかがでしょうか(笑)!?

寒山寺を出てからは、蘇州市の旅遊局を訪問し、浜松市のプロモーションを行ない、夜は現地旅行社10名程度と懇談会を開催しました。

会場は9月に開業したばかりのマリオット系のホテルですが、訪問した旅遊社の社長が、こちらのホテルの副社長をしていることで選定されました。

有意義な時間というのは過ぎ去るのも早い!最後に記念写真です。
アウトバウンド専門の方の参加により、旅先としての日本への期待が具体的に分かってきたのですが、蘇州市にはローランド(Roland)が進出していたり(楽蘭電子有限公司)、かなり興味を持っていると実感しました。

最後になりますが、今回の中国ミッションの手配業務をしてくれた、親友の東海トラベルの田代剛社長に感謝申し上げます。
最近の中国と日本の関係を見ていると、歴史的な背景は変えられない事実があるにせよ、民間レベルでは近づけば同じアジアの文化圏であり、同じ経済圏であることに気がつくだけに、複雑な気持ちなることが残念でなりません。
以上で、訪中団のレポートになりますが、日本への帰国時間も遅く、夜中2時過ぎの帰宅になるなど、かなりの過密スケジュール(行きは富士山静岡空港で帰りは中部国際空港)だったために、数日は疲れが残りました(苦笑)。
今回は、訪中の記録を報告しますが、ちょっと写真点数が多くなります。
最初の視察は、浜名湖のモデルともなる「西湖」ですが、さすが2006年に中国の国家AAAAA級旅行景区に指定されただけに、中国人の観光客で賑わっていました。

写真で見えるドラゴン調の建物はレストランで船ではないようです。

通り抜けたのは西湖の上を歩いて渡ることができるものです。
この雰囲気は写真ですと、伝えにくいので動画にまとめました!
遊覧船に乗っただけで移動しましたが、ご覧の通りすごい人気でした…
天候が晴れであれば周りの景観が見渡せたようなので、とても残念です。

バス乗り場の近くにあったので説明を受けましたが、このような観光地を効率よく回遊できるようレンタル自転車のシステムが導入されたようです。
しかし現実ば誰も利用していませんでしたね…
続いて、970年に創建された「六和塔」に移動。外見は13階建です。
中は登る螺旋階段になっており実際には7階しかありません。

鈴木康友市長を先頭に登りましたが、ちょっと格好が似てますね…
続いて、明・清時代の古い町並みを再現した「清河坊街」へ移動。

いわゆる新天地なのですが、こうして観光地らしいオブジェの前ではたくさんの観光客が写真を撮影しています。

通りの真ん中には露店商の雰囲気でいろんな商品が販売され、古さを感じさせない統一感がとれた印象を受けます。

ちょっと道を外れると、元の姿が…こういう建物をリニューアルしながら、どんどん再開発エリアを拡大しているようですね。

改装後はこのように生まれ変わった状態になるわけです。
夜になると「浙江省主催歓迎会」参加のため「人民大会堂」へ。

ちなみに厳しいセキュリティも緊迫した雰囲気も全くありませんでした。

こちらが会場で、訪中団と現地人合わせて600名以上の参加。

川勝平太静岡県知事の挨拶は、原稿を読むことなく話されていました。
通訳は原稿を読んで話しているということは、県知事は全て頭の中に!?

無事に交流会が終了して、歓迎看板の前で浜松市訪中団の集合写真。
翌日は早朝から蘇州市に移動して、鈴木康友浜松市長の随行で蘇州市役所を表敬訪問しました。

蘇州市人民政府庁舎で王鴻声副市長と会談している風景。

会談では、来年には都市レベルでの他分野にわたる交流に拡大したいという考えで一致。大きく前進しました。
続いて、蘇州市の観光地でもある「寒山寺」に移動。私はこれで3回目の訪問。

蘇州市との友好提携実現を願うメンバーにとって嬉しい瞬間です。

ここもまた中国人の観光客が…まるで毎日が初詣の雰囲気です。

こちらは黄色い建物は「除夜の鐘」で有名な鐘楼です。

2005年に日本へ来ていただいた寒山寺の秋爽館長との懇談会の風景です。仏教的な紫色の部屋はとても落ち着きがあります。

1905年に伊藤博文が同じ鐘を2つ作って、ひとつは浜名湖「舘山寺」に、もうひとつは蘇州「寒山寺」へ贈ったものです(写真は観賞用レプリカ)。

前回は建設中だった「世界一の仏鐘」には中国のスケールの大きさを目の当たりにしたメンバーはただ驚くばかり。
その模様は、やはり動画でまとめてみました。
いかがでしょうか(笑)!?

寒山寺を出てからは、蘇州市の旅遊局を訪問し、浜松市のプロモーションを行ない、夜は現地旅行社10名程度と懇談会を開催しました。

会場は9月に開業したばかりのマリオット系のホテルですが、訪問した旅遊社の社長が、こちらのホテルの副社長をしていることで選定されました。

有意義な時間というのは過ぎ去るのも早い!最後に記念写真です。
アウトバウンド専門の方の参加により、旅先としての日本への期待が具体的に分かってきたのですが、蘇州市にはローランド(Roland)が進出していたり(楽蘭電子有限公司)、かなり興味を持っていると実感しました。

最後になりますが、今回の中国ミッションの手配業務をしてくれた、親友の東海トラベルの田代剛社長に感謝申し上げます。
最近の中国と日本の関係を見ていると、歴史的な背景は変えられない事実があるにせよ、民間レベルでは近づけば同じアジアの文化圏であり、同じ経済圏であることに気がつくだけに、複雑な気持ちなることが残念でなりません。
以上で、訪中団のレポートになりますが、日本への帰国時間も遅く、夜中2時過ぎの帰宅になるなど、かなりの過密スケジュール(行きは富士山静岡空港で帰りは中部国際空港)だったために、数日は疲れが残りました(苦笑)。
コメント
暮らすのでは、だいぶ感じが違うようです、中国はまだまだ。
その点は如何でしたか?
日本の給与であれば、それは日本同等いえグローバルスタンダードかもしれませんが、
現地の平均給与での暮らしって、どうなのでしょうか?
現地法人設立を思案しているだけに。。。
複雑な思いで、ご報告を拝見しておりました。
そうですね。現地の物価は数年で数倍にふくれあがっている割に収入はそれほどまでは上がっていないようですので相対的には住みにくくなっていると思います。観光地の観光施設の入場料などは国の収入となるようですし。8月に上海に行ったときに和僑会の方達と交流しました。現実はいろいろあるようですが積極的なイメージでした。まぁバブルの時に日本に来た海外からのイメージに似ているかもしれませんね。
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