久留女木の棚田

11月16日、誕生日を迎えました。


ひとつ歳を重ねるだけでは人生もったいない。


大河ドラマのロケ地になった久留女木の棚田を散策、いつものスーツ姿で!笑


竜宮小僧


竜宮小僧の場所もちゃんとあります!笑




さて

話が変わりますが


刹那的積極主義


という言葉をご存知でしょうか。



意味は…


今日を最後の日だと思って精いっぱい生きること


だそうです。


なんとなく、

刹那主義は「いまがよければいい」という割り切った考え方に思われがちですが

本来は「刹那主義=過去や将来を考えず、ただこの瞬間を充実すれば足りるとする」

という前向きな考え方です。


「刹那」という言葉を耳にすると、反射的に「刹那的な生き方」とか「刹那主義はダメだよ」と、否定的な言葉が連想されます。もとの仏教語としての「刹那」は「きわめて短い時間。瞬間。時間の最も短い単位」という意味で、決して否定的な意味合いはありません。まあ仏教語は、だいたい世間では肩身の狭い思いをしています。言葉の本来の意味とかけ離れた意味で使われているのですから。辞書には「刹那主義=過去や将来を考えず、ただこの瞬間を充実すれば足りるとする考え方」とあります。しかし、もとの意味に戻って考えれば「刹那主義」は案外、素晴らしい考え方だと思えます。言い換えれば「瞬間主義」あるいは「現在主義」です。「瞬間を本当に充実して生きる生き方」と言い換えてはどうでしょうか。「今(瞬間)だけよければ過去や将来はどうでもよい」という否定的な態度ではなく、「今(瞬間)がよくなければ過去も将来もよくならない」という積極的な態度です。私たちの生活の中で感じる「瞬間」が本当に充実しているとき、ひとは過去も未来も「瞬間」の中に包まれてあると感じられます。たとえば素敵な音楽を聞いて感動している「瞬間」のなかにすべてがあります。それが実感される「瞬間」でしょう。その実感からさめてしまって、「いま(瞬間)だけよければよいという考えはおかしい!」と批判するとき、人間は「考え」に呪縛されています。本当に「瞬間」が充実していれば、「瞬間」を成り立たせている過去も、そして未来も温もりをもって感じられるはずなのです。(武田定光:月刊『同朋』2003年1月号より)


これを読んでいたら

スティーブ・ジョブズの Stay foolish, Stay hungly. を思い出しました。




成果や結果はともかく、少なくとも自分自身が悔いを残さない時間を過ごす努力をする、その足跡は振り返った時に必ず線となって結ばれていることがわかる、勇気ある行動を積極的に続けよう、と決意をいたしました。


どうぞ、よろしくお願いいたします!