別府駅には別府温泉の基礎をつくった油屋熊八の銅像がありました。
2月22日に「全旅連青年部九州沖縄ブロック大会」が開催されたために別府市へ行ったのですが、別府駅前にある油屋熊八の銅像の右下には、よく見ると小さな子供に引っ張られている変わった姿が特徴的でしたので、ご紹介したいと思います。
まず銅像の土台部分に書かれた文字は、予想外に「別府温泉」や「別府観光」ではなく
子どもたちをあいした ピカピカのおじさん
でした…
両手を挙げた銅像の雰囲気と「ピカピカの…」という説明では、正直ちょっと意味が分からないのですが、ちゃんと裏面には説明が書かれていました。
- 1863(文久3)年、愛媛県宇和島の米問屋に生まれる。小さいときから働きもので有名だった。
- 30歳のときに大阪を出て、米の相場で成功し、巨万の富を手にする。つけられたアダ名が”油屋将軍”。
- 34歳で相場に失敗し、全財産をなくす。臭くて暑い船底に乗りアメリカへ。
- 3年間をかけてカナダからメキシコまでを旅し、38歳のとき帰国。アメリカでキリストの洗礼を受けていた。
- 46歳のころ、別府温泉へ移り住み、ホテルを経営し始めた。それがやがて、世界のお金持ちを迎える一流ホテルに成長する。
- アメリカで目にしたスケールの大きな観光地づくりを実践。大阪の上空から飛行機でビラをまいたり、”山は富士、海は瀬戸内、湯は別府”と書いた標柱を富士山にかつぎあげて立てたり…。当時はだれも思いつかないような奇抜なアイデアをつぎつぎに実行した。
- 美人バスガイドが案内する観光バスを日本ではじめてつくったのもこの人である。”地獄めぐり”は爆発的人気を集めた。
- この人のまわりには、別府観光のためならなんでもしようというオモシロイ人たちが集まった。みんな子どもたちが大好きで、『オトギ倶楽部』を結成し、寓話や歌や演奏を聞かせた。クリスマスにはサンタクロースが水上飛行機から下りてきて、子どもたちをびっくりさせたりした。『オトギ倶楽部』で、あぶらや・くまはちは”ピカピカのおじさん”とよばれていた。
- 湯布院温泉を観光地として開発したのもこの人だった。当時描いていた観光プランは別府−湯布院−久住高原−飯田高原−阿蘇−長崎をむすんで道路をつくるという、九州全体を視野にいれたものだった。
- 1935(昭和10)年、別府市で死去。73歳だった。くまはちが抱いた”ここを世界の観光地にしよう”という夢は、いまもこの町のあちこちに生きて息づいている。
”山は富士、海は瀬戸内、湯は別府”というキャッチフレーズや観光バスガイドの導入など、いろいろ奇抜なアイデアを実践してきた方なんですね (^^wow
駅周辺には「駅前温泉」という古いけど趣ある温浴施設があります。
次の写真は「別府竹瓦温泉」の砂風呂です。
このような温泉体験を気軽にできたり、ボランティアガイドが充実していたりと、油屋熊八の情熱が伝わってきます。
とにかく「別府八湯」として有名な温泉地なのですが
源泉数、湧出量ともに日本一
は羨ましい限りです。
コメント
銅像のことばを読んだ感動が蘇りました。
ありがとうございました。
銅像のお顔といい、銅像の台座に刻された[旅人をねんごろにせよ] の言葉といい、人柄がよくでていると思いました(*^^*)
みんなに愛された熊八さんだったのでしょうね(#^.^#)
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